2019-06-05 第198回国会 衆議院 外務委員会 第11号
また、今週の土曜日、六月八日は、日系アメリカ移民百五十周年という記念すべき日でありまして、不肖私も、ちゃんと手続をとった上でですけれども、渡米をしてフェスティバルに参加をしてきますが、外務大臣始め久島総括審にもお世話になり、北米一課、また、現地のサンフランシスコ総領事の皆様、総領事は特に、この行った一団は会津の一団なんですけれども、総領事は長州の方でありますが、特段いろいろ現地で御尽力をいただいておりますので
また、今週の土曜日、六月八日は、日系アメリカ移民百五十周年という記念すべき日でありまして、不肖私も、ちゃんと手続をとった上でですけれども、渡米をしてフェスティバルに参加をしてきますが、外務大臣始め久島総括審にもお世話になり、北米一課、また、現地のサンフランシスコ総領事の皆様、総領事は特に、この行った一団は会津の一団なんですけれども、総領事は長州の方でありますが、特段いろいろ現地で御尽力をいただいておりますので
れていくということになっていまして、百五十年かかったけれどもしっかり約束を果たすということを、先日、私、現地に赴いてお伝えしたら、大変な盛り上がりをしていただいて、こうした百五十年の時を超えて約束を果たすわけですから、今言われた情報発信も、総領事館でやっていただいている情報発信はやはり日本のメディアが中心になっていますので、まさにこれは日本でも知っていただきたい歴史的な金字塔でありますけれども、日系アメリカ
○河野国務大臣 若松コロニー百五十周年ということで、今委員おっしゃいましたように、アメリカ本土へ組織的に渡ったということでは初めてのことでございますから、日系アメリカ人社会の中でも相当に注目をされることになると思います。
今回の日系アメリカ人初の入植地である記念式典に関しては、先ほど言ったとおり、総領事館挙げて御支援はいただいておりますけれども、こちらの式典の方には、これは六月にありますが、具体的にどのような御支援をしていただけるんでしょうか。今の現状をお聞きいたします。
ハリス前司令官、日系アメリカ人ということもあり、日本に対する理解も深かったのではないかと思います。 今回新たに就任されたデービッドソン司令官と小野寺大臣は、日米防衛協力関係について会談されたと思います。会談の内容についてお聞かせください。
この方は、戦時中、太平洋戦争中に日系アメリカ国籍を持っている人たちが強制収容されたんですね、それがアメリカ憲法違反だといって訴えた人です。そして、クリントン政権のときにその裁判が終わりまして、裁判に勝利したんです、勝ったんです。そして、彼は、何かがおかしいと感じたら、それを口に出すことを恐れてはいけないということを言ったんです。今、この言葉はアメリカでとても大きなムーブメントをつくっています。
特に、御指摘の日系アメリカ人との交流では、様々な困難を乗り越え、日米両国の懸け橋となって関係発展に貢献されてきたことに心から敬意を表し、日系アメリカ人との深いきずなを将来の世代にも確実に引き継いでいく、その決意を新たにいたしました。 このような多くの成果を通じ、まさにこれから日米の新しい時代がスタートしたと思ってもらえるような大変意義深い訪問になったと考えております。
この中で私が注目したのは、日系アメリカ人との関係強化のための日程であります。 総理は、ロサンゼルスにおいて、日系人部隊の記念碑への献花や、全米の日系人が集まるイベントへの出席を通じて日系アメリカ人との連携強化を試みました。これは、これまでの総理が十分に行えていなかった、しかし日本の総理として果たすべき役割だと私は考えます。
外務省の皆さんにも大変お世話になったんですが、その際に、政府、議会、それから軍の関係者、それから日系アメリカ人の方々、それからいろんな知日派の方々とお会いをしたんですが、今回のオバマ大統領の訪日に関して皆さんがおっしゃったことは、とにかく日本は隣の国々との関係を正してほしいと。
ではなくて、反対側に、設置を推進している日系アメリカ人の方ともお話をさせていただきました。
ナチス・ドイツのユダヤ人差別などもありましたし、日本でも、日系アメリカ人の強制収容所問題が第二次世界大戦中アメリカで発生をしました。 今のヘイトスピーチに象徴されるような排外主義的な動きをやはり変えたいというふうに非常に思っていて、そのためには外交、政治の役割、メディアの役割も大きいと思います。
時間の関係で最後の質問になると思いますが、岸田外務大臣の外遊日程を議運の理事会で拝見しまして、一つ興味を持ちましたのは、アメリカで日系アメリカ人との交流の機会を持たれるというふうに伺っております。 実は、外務省が、日系アメリカ人のオピニオンリーダーを招くという招聘プログラムを、多分、七、八年前からやられていると思います。
日本人も、アメリカで日系アメリカ人の強制収容所に例えば戦争中入るなどのことがありました。やはりこれは北朝鮮には強く抗議する、問題あり。しかし、日本にいる在日韓国・朝鮮の人たちあるいは高校授業料無償化とはやはり切り分けて考えるべきだと思いますが、いかがですか。
彼自身の生きざまというか生き方、これは、ホンダ氏は日系ですから、日系アメリカ人がなぜ日本をこんな形で責めるのか、そこが私たちもわからなかったところなんですが、それはこんなふうなことなんですね。 日系移民が戦争中の強制収容所でこうむった人権侵害に対して、ずっとアメリカ政府に対して闘い続けてきた。政府の責任を求め、そしてその謝罪と、それから賠償を求めてきた。
日系アメリカ人が米国のために命を張って戦った話を引用されました。私の記憶にあるのが間違いでなければ、たしかハワイだったでしょうか、ダニエル・イノウエ・セネターもそうだったと思うんですけれども、つまり本人の問題なんですよ。
御記憶にありますように、第二次大戦中のアメリカにおきまして日系アメリカ人の人権が長期間にわたり侵害された悲しむべき歴史がございます。最近でも、九・一一の後、イスラム系アメリカ人の人権侵害の事例が多く見られました。米国政府もその是正に苦労したとのことであります。これらに類似した事件が我が国で起こることがないように十分に注意をしておくべきであります。
○新藤大臣政務官 これは、特にアメリカのことですね、三世というのは日系アメリカ人のことだと思いますが、ある意味で一世、二世が大変アメリカ社会で苦労をした、特に五十七年前の戦争のときのいろいろな原体験があって、そういった複雑なお気持ちを持って子育てをした、このように聞いておりますし、想像できます。
○河野(太)委員 少しODAと離れますが、政務官、日系アメリカ人、特に三世についてどのような認識を持たれているか、御発言をいただきたいと思います。
○河野(太)委員 今、日系アメリカ人三世の世代になりつつありますが、今政務官から御指摘いただきましたように、戦争のときの、例えば収容所に二世が入った、そういうような経験から、今の日系三世というのは、ほとんど日本語を話さない方が多い。家庭で日本語はほぼ使われていない。
アメリカで、戦争中に日系アメリカ人の人たちがキャンプに強制収容される、あるいはその前の段階として夜間における外出禁止令が出ます。そのことについて、当時それに違反して逮捕され刑務所に行った日系アメリカ人の人たちが戦後再審請求をアメリカで行います。
というのは、アメリカも戦時中、日系アメリカ人が日系であることをもって強制収容されたんですね、たくさん。それで、財産を奪われ、いろんな人権上の大きな侵害を受けた。それで、戦争が終わって、この人権侵害をされたことに対して謝罪と賠償をせよということを裁判で訴えた。しかし、最高裁判所では、だめだ、それは認められないといって退けられた。
最初に、まず日本の認可されたところに入学をし、その後就学猶予という手続を踏む人と、全く国籍がダブルで、父親なり母親が将来米国本土で就学をさせるとか、あるいは日系アメリカ人として将来をアメリカ本土で暮らすとか、そういうさまざまな条件の違いがありますから、非常にこれは難しい対応だということは私自身も承知をしておるところであります。 しかし、どういう選択になるのか。
これは、第二次世界大戦中強制収容所に収容した約十二万人の日系アメリカ人に対して、今後十年間に一人二万ドルの補償金を支払うことを内容とするものであります。 アメリカ連邦議会は、一九八〇年議会にこの事件に関する調査委員会を設け、二年間、二十回に及ぶ聴聞と七百五十人を超える証言を聞き、当時の関係資料の収集と分析を行った。
そこで、この前、御存じだと思いますがマイクM・マサオカという人、この方はサンフランシスコにおられる日系アメリカ人市民連合の代表の方ですけれども、このマサオカさんが大統領、議会にいろいろ交渉して、四十五年前の日系人の強制収容所送りを誤りだったと公式に議会が認めたというんですね。
そういう伝統的な産業の中にちょっとした知恵を入れることで非常に高度なものをつくり出すという例として私は岐阜ぢょうちんのことを考えるんですが、岐阜ぢょうちんの従来のデザインのままですと、時代に合いませんので需要はどんどん減っていったと思うんですが、野口さんという去年だか亡くなった日系アメリカ人のデザイナーが非常にいろんなちょうちんをつくることを、つまり近代的精神に合致したちょうちんをつくることをなさいまして